子ども・可愛い
子ども、可愛い??
もちろん、あたし、子ども好き。世の中で一番キュートな人類やと思う。一緒にいたら元気出るし、何を忘れてでも一生懸命になれる何かがある。
でも、ある意味むっちゃ嫌い。ちっとも可愛いとか思わへん。あたしをどん底に突き落とす存在だったり、リアルにドロドロした存在だったり。
好きだけじゃ何もできひん。
こどもに蹴られて、叩かれて、つねってひねられて、罵声を浴びせられて・・・それって現実。
もちろん、「その裏にある真実」を見ようとするよ。「この子の中には今何があるのかな?」って考える。
でもね、ダイスキとダイキライは表裏一体の関係やねん。
今日、養護学校の学童で子どもに久しぶりに叩かれた。
彼は朝から生理的な問題でパニックだった。その問題の種を取り除いてやりたくていろいろ考えたけど(原因は何か?どうすれば不快感が減るのか?など)、正直は分からなかった。
よく聞く言葉=「子どもってむっちゃ可愛いっーーー!!☆☆」ってのがちっともそういう瞬間にピンとこない。てか、「そんなにキレイなもんじゃないはずやけど、何でサラリとそんなことが言い切れるのかしらね」と思えてきて、その言葉に妙に興醒めする。
だけどそういう場面に遭遇する度に、もっともっと知りたいって気持ちが大きくなる。不思議な感じで。
「子どもがパニックになった時に、こっちが大仰に驚いたらダメ。」って尊敬する先生に随分前に教えてもらった。どういう時でも、冷静さを保たないと。
そういう時はすっご必死で、「何〜大したことないよ♪」っていう様子を保ってる。でも、後から考えたら結構ドキドキすることしてたなって思うことが多い。
子どもは可愛いよ。
でも、子どもは可愛くないよ。
自分の生きる場所というもの
まだうら若き乙女である満23歳のわたくしですが、年を経るたびに思うことが一つありますの。
「自分に適当な生きるべき場所、等身大の自分が生き生きできる環境」ってのが明確にあるなってことね。
昔のトモダチにあっても、残念ながら「昔はあんなに全てがピッタリフィットやったのに、今は何をとってもイマイチ噛み合わないな〜」ってことがある。みんな一緒かな?!
何かちゃうねんな・・・違和感みたいなんがあるねんな・・・
でもそういう人間関係もあれば、時間がたっても何も変わらずピッタリフィットな人間関係もある。みんなそんなもんかな?!
ともだち
今日はリッツで1回生の基礎演習からずーっと一緒のあべすと梅田で会った。あべすは仕事が休みで、神奈川から関西に来ててん。
今日はほんまに腹の底からごーっつ笑った。やっぱ、おもろい!!!
ともだちって、いいねーー!!!
何か、幸せやねーーー!!!
遠く離れててもともだち、これからもともだち、変わらない変わらない。。
そういう一つ一つの大切なものがあって、今のあたしがあるんやな〜〜☆
幸せって、いいねぇ♪
明日からもまた、元気に前向いてやってこーっと!!^−^
神様みたいな子
最近、一種の悟りを開いた神様みたいな子に出会った。あたしからしたら、アレはほんと神様みたい。
見返りを望まず、自分の思いだけに忠実に生きている。
自分が大切にしたいものを大切にし、守りたいものを守ろうとしてる。
それによって例え自分が傷つくと分かっていても、それでも自分の思いを貫こうとしている。
(自分が傷つくかもしれない事実をわざと見ないようにしているところは、人間ぽいと思うけど)
その人の鏡に映る自分、随分と薄汚く見える。
あー…あたし、バッチィかも。。。
本当に悟りをひらいたようなそんな子が存在するのだろうか??
もしかしたら、あたしが勘違いしててだまされてるだけかも???疑わしい。。
あたしにはそんなこと、出来ない気がする…。
見返りが欲しい。確実な「安心」っていう報酬が欲しい。
でももしかしたら出来るのだろうか、あたしにも、そういう時が来たら。
顔が似てる
バレーボール女子日本代表チームの宝来選手(背番号7)に似てる似てると言われる。
それを聞きつけた母が、嬉しがってやたらと言ってくる。
宝来選手は確かにすごい選手やけど(背もありえんくらい高いし)、でも、美人かと言われると決して、決してそんな感じではない。
でも似てるんだと。
自分が思うに…うん、否めない。